会長の今昔話

お茶屋とゴルフの関係 2

 

私のゴルフ歴50年の長きを振り返ってみますと、様々な好プレー珍プレーも続出しましたので、いくつかを記してみましょう。

ある時、お茶屋さんのゴルフコンペの最中、私がセカンドショットを打とうとした折、前の方で私を見ていた私たちのキャディさんが突然にキャーと大声を出してその場にしゃがみ込んでしまいました。

びっくりした私は驚いて駆け寄り、どうしたのか尋ねると、キャディさんは私に向かって指先で「コレー」と言って胸のポケットを指さしました。

そこには奇跡的なことが起こっていたのです。

併設の隣のコースのプレイヤーのドライバーでの第一打ショットのボールが大きくはずれ、私達のコースに飛び込み、事もあろうに私達のキャディさんの上衣の胸ポケットにダイレクトで飛び込んだというもの…幸いなことに、怪我は何もなく、驚きと笑い話で終止したことは思い出の一つです。

また、ある時はプライベートで川崎の機械屋の社長さんとプレーした折の話、130ヤード程のショートコースで社長さんが打ったボールが右に大きくスライス、グリーン手前右端の大きな杉の木を直撃、当たったボールが角度よくグリーン方向に跳ね返り、2~3回バウンドしてグリーンに乗り、かなりのスライスコースをあれよあれよという間に実にうまく流れ、そのまま吸い込まれるようにカップイン。

ホールインワンが達成されたのです。

さらなる驚きは、その時の社長の反応!

なんと、ホールインワンは無かったことにしてほしいと懇願したのです。

当時の常識としては、ホールインワン達成の折は自分のキャディは勿論のこと、前後の組のキャディにもご祝儀を出し、ゴルフ場には記念の植樹代として5万円ほど包むのが習わしでした。

それで、なかったことに…と拝み、全てをチャラにしてしまったのでした。

昭和38年(1963年)、静岡のお茶屋ゴルフ仲間も少しずつ増えてきた頃、その中に静岡県の茶商協組合の専務理事をしておられた加藤忠七郎さんが、全国のお茶屋ゴルフ大会をやろうとじゃないかと、各地のお茶屋さんに呼びかけ、翌39年に「全日本茶業ゴルフ協会」なるものを設立。

当時ゴルフに関してはオーソリティだった埼玉県入間市の繁田甚三郎氏に協会長をお願いしました。

その年昭和39年11月9日繁田氏のメンバーコースでもある屈指の埼玉県霞ヶ関カンツリー倶楽部で全国茶業者に呼びかけ、第一回大会40有余人が集まり、申告ハンディー18ホールズストロークプレーで楽しく会が催されました。

翌年の40年3月16~17日は2日間24ホールプレーで、静岡県川奈ホテル・ゴルフコースにおいてプレーしております。

その後、毎年1回、年によっては2回大会を催しておりましたが、好都合な事に全国の茶業者大会という行事が各生産県を持ち回りで挙行しておりましたので、ゴルフ大会もその主催県のゴルフをやられる茶業者の方々にお世話戴き、各地でゴルフ大会を行わせて戴きました。

昭和39年より平成5年まで、都合29年にまたがり、静岡は元より関東、関西、九州に至るまで各地の名門コースを歩かせて戴いた事には積年の感謝の思いでいっぱいです。

初代会長の繁田氏は昭和54年9月、二代目会長西野繁夫氏、三代目会長水上房吉氏も今は御逝去なされ、御尽力にこうべを垂れご冥福をお祈りするのみです。

熟々(つくづく)考えますのに私達茶業も昭和40年、50年代と平成の初頭までは成長に成長を重ね、我が世の春を謳歌、それによるゴルフでの功績は全国茶業者の結束にも大いなる貢献を施し、茶業の隆盛=(イコール)ゴルフの存在価値は大きかったと思いますが、平成が進むにつれゴルフ大会の崩落は同時に茶業の凋落と相伴い寂しい極みです。

さて、ゴルフに関する事を長々と連ねて参りましたが、最後に茶業者のゴルフギネスを紹介してみましょう。

ゴルフ者なら誰しもが願うエージシュートとホールインワンですが、鹿児島の池田義雄氏(故人)79歳の折、第一回目のエージシュートを達成されてから87歳までの間に、実に113回という茶業者ゴルファーとしてのギネスを打ち立てられました。

最近では、東京の土屋博義氏が千葉の我孫子ゴルフ倶楽部で70歳で34-36という見事なスコアでエージシュートを達成なされ、おめでたい限りです。

小生も31歳よりゴルフを始め、都合50年のゴルフ歴の中で、唯一2001年11月21日(71歳)静岡菊川c.c.No4、174ヤードショートホールでピン手前4mぐらいにワンオン5~6回バウンド後ホールインワンが達成されました。

 

ゴルフ4

 

嬉しかったのは、このホールにホールインワン商品として、静岡タカラ堂時計店よりウォルサムの高級男子用腕時計が贈られ、今も大事に愛用致しております。

その後、足腰も衰えゴルフの回数も殆ど途絶えておりましたが、平成23年12月7日(81歳)取引先の銀行コンペに誘われ何年も参加していないためハンディも30迄下げられプレーをした処、欲のないプレーのためか、まぐれにも優勝してしまいました。

この優勝を最後として、私の50年に跨るゴルフ人生を終了、ゴルフクラブはタンスの奥深くに収納、ゴルフプレイに別れを告げました。

今は過去のゴルフ映像を頭に時折思い浮かべ、一人懐かしく悦に入っているこの頃です。

 

ゴルフ3



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