会長の今昔話

ダンボール函 の 抵抗時代

茗広茶業の誕生したのは昭和48年(1973年)。

いくつもの夢を抱いての創立でした。

その夢の一つが「茶業界の古い陋習(ろうしゅう)(悪い習慣)を破り新時代への改革」。

手始めに実行したのが、お茶の容器です。

当時は‘いんろうびつ’と称する木箱に湿気防止のためにトタン板を内張りにしていました。

通称40k櫃といわれる箱に45kgから48kgのお茶を詰め、荒縄で十重二十重とえはたえに(幾重にも)縛り、総量で55kから58kの重さ、今の人ではとうてい動かすことのできない重量の茶箱輸送が主流でした。

 

ダンボール1

 

当時、地方のお茶の小売屋さんを訪問すると、運送屋が運んできた重い茶箱が店先に置かれており、これを店内に運び解体するのに女店員では何ともしがたく、男の人でも二人がかりで作業しているのが常でした。

その時代、20k用30k用と称する小さい木箱もありましたが、容器代が割高となるためか、特殊な品以外殆ど使用されておりませんでした。

一方、ダンボールケースは、弱く、湿気に耐えられないとの判断から、全くという程使用されていない時代でした。

しかし、私は木箱に取って代わる容器はダンボールであろうと考えました。

1、丈夫なこと

2、安価なこと

3、軽量であること

4、湿気に耐えられること。

この4つの条件を満たすダンボールケースの開発に取り組みました。

先ず、丈夫なこと。ケースを4段5段と積み上げても潰れないダンボール紙を探しました。

Kライナー(クラフトライナー)という強度の強い特殊な紙材に辿り着きました。

これにより五段の積み上げ可能なケースとなり、紙ゆえに軽さは当然のこと、価格は木箱に比べ12分の1以下となりました。

湿気に対しては内袋で対処しました。

当時、始まったばかりのナイロンフィルムにアルミをラミネート加工し、完全防湿袋となりました。

さらに外側にクラフト紙75gを貼ることにより、袋の張りをもたせました。

 

ダンボール3

 

箱の大きさは凡そ20kg用としました。

取り扱い上、邪魔(じゃま)となる折りたたみのフタを切り取り、フタは木箱のような かぶせのフタを作り、箱の両側に取っ手をつけ楽に持ち上げができるようにしました。

当社では創立時より茶の発送形態は20kgダンボールケースでと徹底したため、一部の同業者、或いは、お客様から「入れ物がケチだ」と非難も頂戴しました。

その時このケースを諸手を上げ歓迎してくださったのが小売店の女性の方々でした。

軽くて、女性でも取り扱いが可能、取っ手もあることで一人での作業が容易となりました。

更に喜ばれたのは空きのケースが家庭の衣装入れ、或いは物入れとして重宝されたことです。

店頭に置かれたダンボールを見た消費者から所望されるまでなりました。

女性の方々に推奨される容器として、その後2~3年の間にダンボール容器が各問屋でも幅広く取り扱われる様になりました。

後 記

現在では、お茶の輸送はダンボールケースが当たり前となっておりますが、40年前は慣れない物への抵抗が強かったことを思い出しますと、時代の隔世感をつくづく考えさせられる、今日この頃です。

 

 ダンボール6



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