会長の今昔話

窒素ガス充填の発祥

現在では、各食品の酸化防止には真空包装、窒素ガス充填が当たり前となっていますが、その昔、昭和40年(1965年)頃は食品の保存方法がほとんどない時代でした。

とある文献で、「先進国アメリカでは食品の保存に真空窒素ガス充填なるものが始まった」との記述を見つけ、大変興味を抱きました。

お茶の酸化防止に役立つのではと種々調べてみましたが、残念なことに日本では、そのカケラさえ見当たりませんでした。

四方八方に情報のアンテナを張り巡らせておいた処、東京羽田に真空包装の研究をやっている方がいるらしいとの情報を得ることができました。

やっとのこと、その方の居所をつきとめ(昔のことゆえ、詳しい住所・氏名は忘却しましたが)、羽田まで訪ねてみました。

その方は電気工事をされている方で、10坪ほどの小さな作業場の片隅で、ビニール袋の真空ガス封入のできる道具を開発しておられました。

足踏みのビニール袋のシール機を利用、ビニール袋の口に細い管を2本入れてありました。

1本の管は真空ポンプに接続、袋の口をおさえつつ、袋の中の空気を抜き出します。

一方の管は窒素ガスボンベに繋ぎ、真空の袋にガスを送り込みます。

足踏み機のシールバーを踏み込みながら、2本の管を抜き去りシール完了という、今にして思えば、手順の簡単な機械装置でした。

でも、私にとっては、この装置が世紀の大発明にみえ、早々、譲って戴き、会社(当時は竹沢製茶㈱)に意気揚々と帰り、その後、お茶の窒素ガス封入(酸化防止)に没頭しておりました。

昭和40年頃はお茶を冷蔵保存することさえ殆ど無く、常温の倉庫に山積みしておくだけ。

酸化防止のために窒素ガスの保存は間違いではないと確信しておりました。

その後2年に渡りテスト実験を繰り返しましたが、ものの見事に失敗、成果は得られませんでした。

失敗の原因は単純なこと…ガスバリア性(酸素などの気体を通さない性質)のないビニール袋を使用したため、窒素ガス保存が全くなされていなかったのです。

その後、とある化学会社の研究員にガスバリア性の話を伺い、自身の如何に無知であったかを恥じ入った次第。

それならば、気密性のある鉄板の容器を使えばよいのではと考えた末、浮かんできたのが石油容器1斗缶でした。

窒素ガス充填機

                                                  1斗缶

この缶には上部に直径5㎝ほどの石油の取り出し穴があり、その穴には固くパチンと閉まる蓋もついており、実験をするのには手頃な容器と考えました。

取り出し口の穴よりお茶を入れました。

窒素ガスの注入にはフラッシュ方法でガスボンベのホースの先端に細い鉄管を接続、茶を入れた穴より底部に突き刺しガスを放出、中の空気が押し出されガスが充満された頃を見計らい鉄管を抜き出します。

蓋をして直ちに蓋の周りをハンダ付けしてガス漏れがない様にして完了。

当時は茶の保存用冷蔵庫がないため為、港にあった魚専用の冷蔵庫-10℃の中で保存をしてもらいました。

その後、凡そ10ヶ月くらい経ち、昭和44年の春先3月頃だったと思います。

関西から北九州にかけ出張、何店かのお茶屋さんの主人にガス保存した煎茶の批評を伺ってみました。

結果、異口同音に云われた言葉は…「静岡ではもう新茶が出たの!!」

当時は今と違いガス保存が全くなく、お茶は夏を越し、年が明ければ品質の劣化は当り前の時代。

新鮮なまま年を越した茶は驚嘆の眼差しを持って迎えられ、新茶と見違えられることも当然であったと思います。

一斗缶入りの研究は成功をみましたものの、実現化するには作業工程が面倒で、事業とするには手を焼きつつ3~4年を経過しておりました処、浜松市の石津鉄工所さんが、お茶専用の20kg用窒素ガス充填機を製作、袋はカイト化学さんがガスバリアの高い包材(KOP15ミクロン)を開発、ポリ・KOP・クラフトのラミネートされた完璧な袋を作りました。

 

窒素ガス充填機1

                                          昭和40年代初期の充填機

浜松市の辻村商店さんが機械と袋のセットで販売を始めましたため、昭和48年以降はそれらを購入、常時ガス保存が可能となり今日に至っております。

今となって振り返ってみれば、どんな幼稚なことであっても、新しい物への挑戦は時間と辛抱のいることであったと、つくづく痛感したことでした。



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