会長の今昔話

需要衰退のリーフ茶のこれから 1

 

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リーフ(葉茶)における需要衰退の経緯

1985年(昭和60年)緑茶の消費が最盛期の時代、日本国内の年間消費量が凡そ10万トンあったものが、2012年には消費量は半分を割り4万8千トン程度と推測されております。

ピーク時からわずか27~28年間で何故リーフ茶の消費激減があったのか?

私たち茶業者は異口同音、緑茶ドリンクの出現を理由に挙げております。

「古きを訪ね新しきを知る」の例えから、葉茶の宿敵、ドリンクの発祥を探ってみましょう。

今を去る40年前、1973年ごろ、静岡市葵町に株式会社マルヤ三浦勝蔵商店の三浦敏雄社長が画期的な麦茶の缶入りドリンクを開発、発売されました。

当時、無糖のドリンクはほとんど無かった時代、食事の飲み物としてお弁当屋さんにもてはやされ、全国版には至らなかったものの、地方版としては一時期を風靡したといっても過言ではないでしょう。

ただ残念なことに今と違いコストダウンできるオートメの機械もなく半手作りの缶飲料であり、結局、採算割れのため、数年ちょっとで姿を消す結果となりました。

ついで、登場したのがウーロン茶の缶ドリンクです。

1979年東京の伊藤園が中国より輸入したウーロン茶のリーフを販売、間もなくテレビ番組「夜のヒットスタジオ」で当時の人気アイドル、ピンクレディが「私達これを飲んで痩せました」と伊藤園のウーロン茶を紹介したことにより、ウーロン茶が一大センセーショナルを起こしました。

その2年後1981年伊藤園が初めてウーロン茶の缶ドリンクの開発販売に踏み切り、大ヒット商品となりました。

翌1982年、静岡市の静安茶連(静岡安倍茶農業協同組合連合会)専務理事の岡部廣氏が日本で初めて緑茶缶ドリンクを開発、発表をしました。

当時、私も試飲致しましたが、原料茶も良かったと思いますが、現在市販されている緑茶ドリンクより かなり出来栄えが良かったと記憶しています。

ただ、残念なことに酸化防止剤(ビタミンC)を使用しなかったため、日持ちがせず、一般市場販売までには至りませんでした。

その後、1985年、伊藤園が「お~いお茶」の缶ドリンクを作り、酸化防止剤の使用で長期の賞味期間が可能となり、ベンダー販売により緑茶ドリンクの第一歩が始まることとなりました。

更にその後、10年余経過、1996年(平成9年)伊藤園が本格的緑茶ペットボルの販売に踏み切ることにより、緑茶ドリンクは家庭の冷蔵庫まで侵入、リーフ市場の凋落が鮮明となって参りました。

 

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冒頭にも記しましたが、リーフ茶の消費量がピーク時より半分以下にまで衰退した大きな原因は、衆目の一致する如く、ドリンクに取って代わられた事であるのは否めない事実でしょう。

ある時、こんな会話の経験があります。平成20年3月のこと、大手ドリンクメーカーの経営者とある会合で同席となり、ドリンク談義が始まりました。

小生曰く「ペットボトルの浸出でリーフ茶は完全に敗退、千年続いた緑茶、喫茶文化も風前の灯だね」と。

メーカーの経営者は自信に満ちて答う「かつてコーヒーの日本上陸はインスタントから始まり、大衆は本物の味を求め、粗挽きの豆が普及する結果となった。

お茶もドリンクでは飽き足らず、本物志向へとリーフが繁盛する時代に突入することは明白」と。

今となれば世の中はそんなに甘い物ではなく、残念ながら小生の見通しの方が現実となり、年を追うごとにリーフ茶の消費衰退は進んでいる状況です。

さて、平成に入り、これだけの消費衰退をおこしたリーフ茶の将来は、如何なるかと考えてみました。

現在、平成生まれの子も25歳、この平成生まれの子に「お茶を持ってきて」と言ったら、間違いなく殆どの人がペットボトルの緑茶を持ってくるでしょう。

まだ家庭の中では平成生まれの人が中心となっていませんが、今から15年後には、平成生まれの人が台所の主権を握る時代となります。

はたして彼女らにリーフ茶の存在を受容してもらえるでしょうか?

たぶん、その頃には、純粋の緑茶好きマニアだけが愛好者として残り、全国の消費量は現在の半分にも満たなくなってしまうのではと、危惧しています。

何としても緑茶愛好者をできるだけ多く作っておかなければいけない義務が、今の私たちに課せられているのです。

昔と違い現在は、食品の世界も多様化創造的時代です。

従来のお茶に拘らず、年齢層に準じた好みの茶、嗜好に合わせたバラエティに富んだお茶、変わった茶としては果物・野菜・香料・スパイスなどとコラボさせたお茶。

何でもよいから、お茶の片鱗を一人でも多くの方に繋ぎ止める事と、新しいお茶造りでお茶に興味を持たない若い層の掘り起こしも重要となる時代になるでしょう。

次回は、私の考えている、リーフ茶の救世主となるかもしれない提案を致しましょう。

 

富士と茶畑



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